第22章 人を取り込む
よその土地で生まれた者が新たな社会になじむために自身のアイデンティティを変えるにしても、ある程度までしかできないだろう
新しく入った人が一生懸命になじもうとしても、その人の本質は異質なままであり、変えられるものではない
アイデンティティ=本質として捉えられているっぽい? 別の社会に所属していた人が過去のアイデンティティが残るというのはわかるかもしれない。
思い出せないだけで、細胞レベルでは今までの全てが記憶、記録されているという話を思い出しました
人類学者のナポレオン・シャグノンは、長年ヤノマミを観察した後にこう書いた。私のことを、よそ者であるとか人間に劣る者であるとか思わなくなってきた人が増えていき、私は彼らにとっていっそう本物の人間であり、彼らの社会の一部であるようになっていった。ついに、まるで彼らから私に許しを与えるかのように、こう言われるようになってきた。「お前はほとんど人間で、ほとんどヤノマミだ(30)」
完全にはヤノマミになれない。どうしたら最初からヤノマミとして認められるのか?ヤノマミ社会で生まれたかどうかとかはあるのかな?
そこで生まれても認められないのは、みにくいアヒルの子みたいな例なのかなーと思いました
ヤノマミによるシャグノンの、あるいは新たなメンバーの見かたを信じれば、他のどの人間社会でも同じだが、新入りはメンバーのしるしのすべてに習熟することは決してできない
何度か転職しているけど正直あんまり意識したことないなあ。会社のメンバーのしるしは色々あって、部署によっても分かれてたりするイメージ。
「決してできない」という強い言い方なのが気になる